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CG=NG だめでしょ 

CG=NG


 これは持論なのですが、詳しくは内部ブログにて確認下さい。
 さすがにここで書くのは控えた。
 
 とりあえず、CGは原理的に一次の変化の重ね合わせです。
 よって、見れば見るほど単調。
 特にリアルタイムの再生は視聴者を観測者にしてしまうのでNG。
 そういうレベルの作品があまりに多かったりしなければこんな事は書かないと思う。
 作る側になんでこんな内容で納得できるんだと詰め寄りたいのに
 そういうアニメが所狭しと堂々次々出てくるのだからたまらない。
 
 脚本を書く人間なら誰でもリアルタイムはNGと知っている。
 ところが、最近のアニメは脚本軽視が甚だしいので現場はこんな風になってしまう。
 最初から分かりきってるのに3D-CGの世界では、
 今更のように誇張や変化が必要だとかいう論調になるらしい。
 作った後からこんなことを言うのがおかしい。作る前に本当に手段として正しいか
 普通、考えないだろうか? 設計無視も甚だしい。
 
 映像の原理原則だが、視聴者が補間することで時間の動きが伝わり
 主体的な鑑賞になるのである。
 この状態にしないと、感動も何も伝わらない。
 
 旅先で風景を見る時だって自分で角度を変えて見たり、立ち位置を探して見るでしょう。
 これが出来るのは現地に行った時だけなので旅行というビジネスが成立する。
 ノベルゲームは元は小説だが、体験的な味付けを加えたからブーム化したのである。
 
 原理原則より先にCGという手段に走った人は後付けで今更のような手法論を平気で言うのである。
 何も考えずにとりあえずCGに手を出したら失敗した、という自白を延々綴られても
 そんなの最初から分かってるだろう、といらいらしてしまう。
 
 
 実際、アニメを作る側も本質的にそれは理解している筈だし、理解している。
 CGの再生は単調になる。
 だから大抵のコンポジットの人やCGアニメーターは無意識に間を埋めようとして
 早回しした結果、高レートのシーンになっている。
 これは「もはや恒例のご批判」と同レベルだ。
 映像的な欠陥を見た目で誤魔化そうとしているだけなのである。
 
 といって、モーションの変化にカーブを入れたり切ったりして変化を付けるというのは
 どんなものか。自身でCGという手段を否定しているようなものだ。
 
 それ以前に本当にCGを極めていればCGの欠陥くらい客観的に認知してる筈だろう。
 欠陥を見て見ぬフリして満足にすり替えてるという心理が分からない。
 
 賢明な人なら、新しい技術はまずデメリットを押さえるように考えるだろう。
 技術自体、すぐに習得できるという自信があるからそんな所ほっといてもどうでもなる。
 さらに言うと技術が大事なのではなくて表現したいものが優先だ。
 だから本当に使えるのか、という所をまずシビアに見るのが当たり前で
 そこが出発点になる筈だ。
 能力的に問題なければ、それ以上の事をやってしまわないか
 どこまでならやっていいかを押さえるのが先だろう。
 300km/h出せる自信があるなら気になるのはエンジンの性能ではなくブレーキの性能の筈だ。
 
 出せる自信があるのだから、出せるという前提で考えるでしょう?
 そうすると気になるのは、ホントに出していいの?
 出したときどうなるか考える筈でしょう?
 ところがこんなことを言うと貴方は変わってるね、とかニヤけた持ち上げ文句が出てくる。
 彼らは自分たちに欠陥がある、と認めたくないので
 あいつが特別だ、という話にすり替えたいのである。
 
 自信がないから、出力=既成事実を作ることを焦ってしまう。
 そこにしか目がいかなくなる。
 こうやって技術をゴールにして、出力したら安心してしまうのである。
 そもそもそこはスターラインの筈だ。
 何をしたかったのかがゴールで、安心するのは遙か先の目標に到達した時だ。
 
 
 とあるゲームを原作にしたアニメはぼくはほとんど見たことがない。
 まず原作ものでしかもゲームとくれば見たいと思わなかったからだ。
 
 自身について言えばアニメとゲーム、圧倒的にゲームのスキルが高い人間だ。
 ということは自分の得意でない方のアニメの方が貴重なのだ。
 実際、個人的に好きなのはアニメだ。
 原作に媚び、ゲームに媚びなアニメなど見たくないのである。
 
 ブルーレイ売り上げNo.1の某アニメを見た感想は
 「映像的には完全にゲームに喰われちゃってるね」
 だった。
 かなりがっかりしたが、CGのオンパレードで作ったような画面が浮きまくって見えた。
 そりゃあHD出力すれば解像度はいいでしょうけど……
 一言で言えばセルって平面なんだよ、という現実だけ見せつけられたみたいだった。
 
 光源の異なる映像を一つのフレームに押し込むなんて作った人間には神経があるのか?
 と疑いたくなる。
 これも合成できる、という技術に寄りかかって効果のみを先取りし、結果を見なかった、
 全く工夫をしなかった結果である。むしろ合成という技術が提供されなければ、
 こんなクォリティダウンは起こらなかった。
 結果としてCGは不要と言えるでしょう?
 
 
 制作費がないからという話もよく聞くが、こんなのウソである。
 まず第一に、アニメーターなら一日動画200枚くらい描いてしまう人はいる。
 第二にCGだって細かいパーティクル(雲や霧や描写により水や光)を動かすシーンを
 レンダリングするには相当時間もお金もかかる。
 情けないことに脚本を書く人間すら「今はCGだからラクでしょ」なんて言ってる人がいる。
 自分勝手にそんな話を作らないで欲しい。
 貴方の都合じゃないか。
 
 
 注文を出す側から言えば
 コンピュータは便利で手間もかからず簡単に最上の結果が得られる
 ……という自分勝手な妄想を仕事に持ち込んでいる人が多い。
 自分の手に負えない技術に口出しを控えようという謙虚さもない。
 だから正しい理解ができない。要するに妄想家である。
 経験がないのに憶測で勝手なことを言う。
 こんな人が仕事するチームの中にいると大変迷惑だ。
 
 
 注文を受ける側から言えば
 アニメ業界も多分に漏れずIT化の流れにのった。
 そのどさくさに紛れてコンピュータを使える人たちが自分たちの得意分野で
 したいことを広げてしまったのである。
 アニメーションの事を考えていた訳ではない。
 
 そもそもアニメーションの魅力は「手描き」なのである。
 これを否定すれば否定するだけアニメーションの魅力は下がり品質も下がる。
 原理原則だ。
 
 パソコンはできるけど、数倍困難な絵を描くというスキルを放棄した人たちが
 のさばってしまったのだ。
 その人たち、本当にアニメが好きなら苦手でも描き続けるべきだった。
 
 CGを導入するより優秀なアニメーターを一人でも育てることの方が
 よほど作品に貢献するのだが、
 ITブームに乗せられっぱなしで現実を見ない人はどこの職場にも多い。
 
 
 今は作り手が品質と機械的なスペックを同一視するのを当たり前と思ってる。
 ところが実際面白いと言われるのは 1980年代以前のアニメだ。
 
 スペックで語れば話も早く責任も回避でき、(所詮見せかけなのだが)論証しやすい。
 作品を作るということは未来を語るということだから
 自信がなく責任も負いたくないので機械に保証させてラクしたいという訳である。
 機械が撮影してるから違法じゃないという理論と同じだ。
 
 ところが感動というのはスペックに置き換えられない品質だ。
 要するにメシのタネを放棄してラクな方に流れてるだけのクセして
 CGが素晴らしい、などと自画自賛に置き換えて
 自らを欺き、かつみんなを騙してるのである。
 
 結果的にこの産業全体の作品の質と労働環境が低下し
 ツケは関係者全員の生活や社会的地位の水準低下となって返ってくる。
 
 目先の事しか考えない人たちは自分で自分たちの首をしめてるようなものだ。
 

 

[ この記事は 2009/7/17 以前に作成されました ]



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