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アニメは実写より格下?  

アニメではできない


 実写の脚本家の方はアニメの表現に限界を感じているようだ。
 批判もあると思うが、私はアニメが好きだ。
 見ていて実写やSFXの方がウソっぽいのである。
 
 本物の役者を使う実写と異なりアニメでは微妙な表現ができない
 ――これは定説となっているようだ。
 
 しかし、その人は作打ちという言葉を知らないのではないだろうか。
 もしかしたらアニメ脚本家でも知らない人もいらっしゃるかもしれない。
 そして仮に言葉を知っていたとしても、自ら参加したことはないと思う。
 もっとも監督と担当者以外の人間がそこに顔を出して意見を言う方がおかしいと言われれば
 それまでだが、本当に描きたいものがあるならあきらめる前に参加してみる方がマシだと思う。
 
 アニメーション脚本の初心者、意識していない実写脚本家には至言と思う。
 しかし、脚本家という立ち位置を映像から一歩退いた場所に設定した言葉でもある。
 アニメーション作家として、であればこれは口にしたくない言葉だ。
 
 
 一例を挙げよう。
 スティーブ・ジョブズという人がいる。
 彼は特殊な人だろうか?
 彼は自分を特殊化していない。ただひたすら仕事が面白いと思っていると思う。
 そして、スタッフと夢を共有できる人である。
 
 アニメでは微妙な表現ができない、というスタッフがいたとしたら
 その人はおそらくITの世界でも新しい製品は作れないと思う。
 
 私は脚本の修行を始めるのが遅れた。最初この作業に抵抗があったからだ。
 この作業をやったが最後、新しい作品は作れないと思った。
 夢を共有する手応えはないと思っていた。
 
 別にアニメに限った話ではなく、前例がないからといって
 「できない」を前提にした仕事はやったことがない。
 むしろ他の会社からも協力者が現れて実現に協力してくれた。
 最初はできないと言ってた人たちが、最後は自分たちがやろうとするように変わった。
 彼らも心の中ではやりたかったのである。
 
 彼らを焚きつけたかもしれないが
 自分では技術的な事はほとんど何もやっていない。
 しかし周りから見ると壮大な勘違いをされていたらしい。
 やろうとしない人には意欲で開けた世界が非現実的に見えるのだ。
 そして自分が『できない』という結論を避けて
 『できる方が特別』という話にすり替えたいのである。
 
 
 アニメも全く同じことだと思う。
 アニメは脚本家一人で完結する芸術ではないのは確かだ。
 俳優一人に背負わせる実写とは違う。
 共同作業は共同しなければできることもできないし、
 脚本は共同作業からどうしても一歩外れてしまう。
 だからという訳ではないがアニメの共同作業分化を固定的な視野で見て、
 閉鎖的に捉えていないだろうか。
 むしろそこの可能性を否定すると楽しくないと思う。
 事実、現場のムードでこのセオリーをひっくり返した作品は見ていると思うのである。


アニメの表情


 逆にアニメならではの微妙な表情というものもある。
 コミック文化による所も大きいが、新しく開発される表情の記号化である。
  骨抜き・脱力
  もてあます余りに行う動作
  微妙に気まずい雰囲気
  退いてしまう状況
  ブラックユーモア
  ……
 などなど、所謂笑いの『間』に存在する空気感の表現である。
 実写の俳優の表現力はこれに遠く及ばない。
 喜劇役者ですら、難しい。
 なぜならこれはキャラクタの性格付けを優先した表情だからである。
 登場人物の性格付けが徹底しているからこそおもしろみが増す表現だからだ。
 そしてなにより、実際の人物は、このような自由度の高いデフォルメができない。
 せいぜい、魚眼レンズなどのようなどちらかといえばグロテスクな表現となり
 デフォルメの枠も小さければ扱えるキャラクタの性格が限定されてしまう。
 そもそも、笑いの表現はもっとも難しいと言われている。
 それを自在に操るアニメが実写に劣ると言えるだろうか?
 問題は批評をする側が、これらの表現をつかいこなせる人かどうか
 ということになると思う。勿論、脚本の上で、である。
 もしくはそれ以上の間の空気を、実写の制約の中で伝えられるだろうか?


アニメは子供向け


 子供向けという言葉が悪い意味を持つのは、子供たちの間だけである。
 子供にとっては自分を大人びて見せてくれる実写傾倒を主張したい子が多数だ。
 自分が子供の頃を考えると、アニメを見ているからといって
 取り立てて幼いという訳ではなかったと思う。
 むしろ周囲からは思考が大人、子供らしくないと言われていた。
 それが本当かどうかは知らないが中学にもなって反抗期などと騒いだりはしなかった。
 当時の私の感想は、実写・SFXのドラマ・映画はくだらない、だった。
 見た途端、作った映像だと分かるからである。
 しかも部分的に現実だから、リアルな現実と比較して
 ウソが際だって目に入ってくる。
 本物らしく見せようと四苦八苦した結果が一目で作った映像だと分かるのだから本末転倒だ。
 発想の時点から往生際の悪い表現方法だと思った。
 なぜ大金と時間をつぎ込み、こんな無駄をするのか分からなかった。
 失礼だと思うが、子供なりの本音である。
 
 特に人物がウソっぽい。
 なのに中身は普通の人間である。
 そこら辺りにいる人の髪を染めたり化粧をしたものだといやでも目に見えるのに
 あたかも異文化人種です、などとのたまうからついていけない。
 そこらで買い物してる普通の人でしょう、とつっこみたくなる。
 
 日常のドラマにしても装っているのが見え見えである。
 不意に転んだフリをしているのも分かる。
 本気で殴ってないのに怒ったフリをしているのも分かる。
 いろいろな”フリ”をしているのが分かる。
 映像――作り物の世界――だから許されることで、現実に同じ事をやったら
 何芝居してるんだと言われてオワリである。
 
 子供時代の人物や、俳優でない現実の人物が出てくれば
 ”そっくりだね。なんて人だろう”
 観客の関心はドラマを逸れてそっちである。似てれば似てるほど確信を持って
 そっくりさんと断定されてしまう。既に同一人物としてストーリーは楽しめない。
 アニメでは鑑賞中にこんなバカな事は起こらない。
 
 動いていない乗り物の車窓にCGを流しているのも分かる。
 だったら最初から全てCGやアニメにした方が潔いに決まってる。
 中途半端に合成してるから見苦しい(もっともこれはCGアニメも同じ)。
 
 CGもジオラマもこれを本当と信じろといっても無理だろうとしか思えない。
 日常にしてもロケ違いのカットが複数続けば同じことである。
 光源距離が違うのに無理矢理同じ画角に収めるから色も明るさもズレている。
 これに気づかない人間などいる訳がない。
 実写ファンは完全な裸の王様だ――そう思って辟易していたのである。
 
 イメージの世界から出発して違和感なく楽しめるアニメの方が断然上だった。
 当時小学生の私は、本物らしい、とうそぶく同級生をただの見栄っ張りだと思った。
 完全にしらけて見てしまっていたのである。
 
 こんな風に目に見えるうそを平気で受け入れてる人間たちの中で
 生きいかなければならないのかと子供にして先の人生が苦痛になった。
 
 実写は架空の世界、仮定の背景を描けない表現だと言うのが結論だ。
 やればやるほど視覚的にあざとい。
 
 といって日常物になるとドラマにならないから、
 刺激を放り込むために不幸なエピソードが山ほど盛り込まれる。
 こんなの見てて楽しいのか?
 実写を正当化するという歪んだ目的のために行われている不謹慎な行為である。
 その心の貧しさがいやだった。
 少なくとも私はこれを娯楽として受け入れられない。
 
 天地人の「人地」に不利があるから「天」を不自然で強制的にしようとするのである。
 小学生にも見透かされていた事実だ。
 だが、アニメも発生期の頃のような作品ばかりではない。
 嘆かわしいことに同様の理由で戦争アニメが流行ってしまっている。
 
 この辺りはをサンタクロースは存在する?読んで貰えると
 よりはっきりすると思う。


最後に


 このコラム、若気の至りで様々に失礼な言葉が入っている。
 そこの批判はされても仕方ないと思うし、言い過ぎだと言われても仕方ないと思う。
 
 ただ、常識を破るということによってのみ新味は生まれるので、
 それは古い方法論と噛み合わない。
 
 しかし、協力してくれる人がいると言うことは少なくとも思いは通じているということ
 だと思うのである。
 そしてやりたいと思ってる。それを縛る言葉は新作を生み出すために不要ではないだろうか。

 

[ この記事は 2009/10/14 以前に作成されました ]



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参照元

アニメ実写格下 ×1 /